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3年目

東日本大震災から3年を迎える。

大切な家族・ふるさとを失った人のことを想うといたたまれない気持になる。

震災のことを振り返り、2年少し前、ライカラのために作った映像をアップしたい。


)
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憲法9条信奉者の考え方とふるまい

以前目にした百田尚樹氏と某自称作曲家の方とのリプがあまりにも九条を信奉する方の考え方を現していると思ったのでブログで整理をしてみた。ほんと笑ってしまう(笑)

百田氏ツイート:「軍隊を保持せず、交戦権を持たない国」と、「国防軍を持ち、自衛のための交戦権を持つ国」とでは、他国はどちらの国を侵略するかという命題である。繰り返すが、日本人で戦争を望む者など誰もいない。ただし国土と国民の命が無法国家に脅かされたときは、自衛のために戦う必要がある。

作曲家氏リプ:「強い軍事力によって平和を維持出来る」という、9条廃止・軍備強化を唱える人々の子供じみた夢想=妄想。救いがたい!

百田氏リプ:では、戦争を抑止するにはどんな方法が最適なのかを示してください。また先進諸国のすべてが軍隊を持っている理由を説明をしてください。

作曲家氏リプ:言葉ですよ。あなたは言葉を生業にしながら言葉の力を信ずることができないのですか?

作曲家氏リプ:「先進国」の定義がよく判りませんが多くの国が軍隊をもち平和のお題目の下に侵略と略奪を繰り返してきた歴史から学べと言っているのです。みんなが武器を持っているから僕だって持ちたいでは子じみたと言われてもしかたないでしょ。

百田氏リプ:では、あなたが学べという「歴史」から、軍隊を持たずに、他国から侵略もされず平和を維持できた国を挙げてください。

作曲家氏リプ:抑止できた戦争は歴史に記録されることはありませんから例示することは難しいですね。それに反して「自衛のため」と称する戦争による悲劇は枚挙にいとまがないですが。ご承知のようにこの問題にスマートな回答はありません。だから知恵をつかいましょうよと言うことです

周囲の反応1: 百田さん一人説得できない癖に戦争は言葉で止められるとかよく言えるよなぁ・・・
周囲の反応2:では、その言葉の力とやらで南スーダンの紛争を終らせて来れば宜しい。
周囲の反応3:言葉で平和が護れる?その言葉で世界中の戦争を止めて下さい。マザーテレサやマンデラ氏が言うなら納得。言葉を発する人に覚悟と地獄を見た経験と実績があるから効果がある。度を超えたロマンチスト。ナルシストでもあるねある意味すごい


百田氏ツイート:年明け早々、ツイッターでやりとりをしてみたが、見ず知らずの人に向かっていきなり「妄想」「救いがたい!」と口汚く罵るような人間とは、やはりまともなやりとりはできなかった。これは私のミス、反省。

百田氏ツイート:常々、不思議に思うことがある。私に対して非常に攻撃的な非難ツイートを送ってこられる方のほとんどが「9条を守れ」と主張する平和主義者であることだ。本当にびっくりするくらい好戦的なのである。罵詈雑言や嘲笑だけにとどまらず、「死ね!」とかいうのも全然珍しくない(^ー^)


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永遠の0

映画「永遠の0」をドレミと一緒に観てきた。もうずっと泣きっぱなし。後半は、押し寄せる嗚咽の波に逆らうことができなかった。

人それぞれ感じ方があるとは思うけれど、この映画のレビューを見ていると酷評されていることがあるので、普段レビューとかは書かないけれど、原作者、監督、出演者及びこの映画の製作に関わった全ての方に感謝の気持ちを込めて書いてみた。

平成26年1月5日午前0時27分ヤフー映画に投稿


特攻隊員と現代人の気持ちを結ぶ作品

私は、戦後の日本教育を受け、健太郎(三浦春馬さん)の友達と同様、あの歳頃のとき特攻と自爆テロの違いを分かっていませんでした。そして、祖父が二人とも戦死しており、自分自身とオーバーラップして観ていました。

映画を観る前に原作を読み、知覧へ行きました。そこで観た特攻隊員の写真、直筆の手紙の数々が思い出されました。

映画中の描写であり得ないのがあるというようなレビューがありますが、私はそれは枝葉だと思っています。

ストーリーはフィクションだけれど、それほど遠くない時代、自分達の祖父母の時代に特攻があったという事実。そして、そこには特攻や戦地で散っていった若者一人ひとりに想いや家族がその数だけあったという事実。そのこと想うと涙が止めどもなく溢れてきました。

以前、「きけわだつみのこえ」という戦没学生の手記を集めた本を買おうと思って本屋に行き、買う前に少し立ち読みして1通目の手紙で泣いてしまったことがあります。
久保恵男さん(特攻訓練中殉死、25歳)の手紙でした。

そこには、「ともかく日本の国は私たちがきっと護りぬきます。ただ、なによりも案ずるのは、私たちが護ったこの国が次の時代にいかなる生成をし、発展をするかということです。戦争直後の疲弊や変調よりももっと先の文化の問題が気になります。」「私の個体もこの大きな歴史の山の頂に燃焼する。私はそれを快く見つめることができます。ただ、私たちは自分たちの思想や仕事を受けついでくれるべき人間をあとに遺したい。そして私のなしえなかった生活と理想を完成させてください。そのころにはすでに戦争も終わって日本の国は文化の上で苦しまねばならぬ時代だろうと思いますから。」(手紙の一部)と書かれていました。こんな想いでおられたことを知り衝撃を受けました。

この映画は、先の大戦で国を護ろうとして散った若者達の想いを届けるものだと思います。自分の命よりも大切なものがあるということ。護りたかったものがある、遺したかったものがあるということ。そのような想いの塊の上に、今の世の中があるという強烈なメッセージだと思います。

現代の価値観で考えると理解不能な特攻。しかし、それを実行した若者たちは現代と同じかそれ以上の人間愛・家族愛を持つ若者たちだったということが伝わります。

とかく現代の物差しで当時を捉え、命を粗末にするあり得ない時代だと思ってしまいがちですが、その時代に生きていた人たちは、決して命を粗末にした訳ではなく、現代に生きる我々と同じ考え方だったということが分かり、たまらない気持になりました。

この映画は、特攻隊員と現代に生きる人たちの気持ちを結びつける作品だと思います。


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亀裸男大学入試問題

Jさん(@kameraman0624)から「従軍慰安婦問題」「朝日新聞」「河野談話」「覆水盆に返らず」「詫び寂び」「島国気質」を使って文章を完成させなさいという問題をいただきました。以下のとおり作成し提出いたしますので、ご審査の程よろしくお願いします。

~美しい日本の心と従軍慰安婦問題~

最近、いわゆる「河野談話」の見直しが話題になっている。民主党政権では、あり得なかった見直しが話題になるというのは、政権交代を象徴している。

では、そもそも「河野談話」とは何か。それを説明するためには、この談話を発表する原因となった「朝日新聞」の報道について言及せねばならない。

河野談話発表から遡ること4年、平成元年に吉田清治氏が従軍慰安婦問題の著書を韓国で翻訳出版し、平成3年に「朝日新聞」が吉田清治氏の慰安婦狩りの証言を写真入りで紹介した。そして、平成4年に「朝日新聞」一面トップで吉見義明中央大学教授の防衛研究所における資料発見を「慰安所、軍関与示す資料」「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」と報じ、その解説欄において朝鮮人女性を慰安婦として強制連行されたと報道したことにより、日韓関係が大きくこじれることになった。(関係資料1参照)

そして、これをうけ政府は、いわゆる「従軍慰安婦問題」について調査し、平成5年にその結果を発表した。その際の官房長官談話が「河野談話」である。その内容は、慰安婦及び慰安所設置について日本軍の関与を一定認め、謝罪したものである。そして、『慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。』とし、一見「朝日新聞」報道を追認したともとれる内容が余計にこの問題を複雑化させてしまった。(関係資料2参照)

「河野談話」で注意すべき点は、慰安婦及び慰安所の存在について日本軍の関与を明確に認める一方、慰安婦の募集は業者が主として行ったということである。また、本人の意思に反して集められたケースがあり、それに官憲等が関わった場合もあったとしているが、組織的強制連行までは言及していない点である。

その後、端緒となった本の執筆者であり、朝日新聞で証言をした吉田清治氏が、創作であったことを平成8年の週刊新潮誌上で告白。また、平成4年の朝日新聞1面トップ記事で軍の関与を示す資料を発見したとする吉見義明教授は、平成9年「朝まで生テレビ」において「日本の植民地(朝鮮、台湾)については、強制連行を示す資料はない」と認めたが、もう既に手遅れ。このような告白や発言が大きく報じられることはなく、日本国内でも従軍慰安婦が存在したと思っている人がいる状況である。

加えて、平成19年には、安倍内閣において閣議決定文書で、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったと、強制連行を裏付けるものはなかったと明確否定したが、まさに「覆水盆に返らず」、韓国日本大使館前に慰安婦像が設置されるなど、問題の収拾には至っていない。(関係資料3参照)

さて、ここまで関係がこじれてしまった原因は、日本人独特の考え方が影響を及ぼしているように感じる。

日本には、負けるが勝ちという言葉や謙譲という言葉がある。
自らを下げ相手を上げることを美徳とする価値観である。

これは、日本独特の感性、侘び・寂びにも通じるものであろう。
落胆や失意の中に感じる、深い感情や情緒、味わいといったもの、それが“侘び”。
賑やかな様子や豊かなもの、美しいものが閑寂になり、枯れたときに見いだす深いおもむき、それが“寂び”。

いわゆる従軍慰安婦問題が日本以外の国で起こった場合、調査結果が組織的ではなく一部そのような場合もあったという内容であれば、“なかった”とするだろう。こんな馬鹿正直に言う国なんてない。ある意味世界標準からかけ離れている。だから“一部あった”ということは組織的で“あった”のだと誤解されてしまう。その後否定しても改まらない。

すぐに自らを下げ、詫びてしまう国民性。侘び・寂びではなく、「詫び寂び」とも言えるだろう。

このような日本人独特の感性、考え方が生まれたのは、日本の置かれた地勢的位置が影響しているように思う。

民俗学者、柳田国男氏が唱えたものに方言周圏論がある。方言などが文化的中心地から同心円状に分布する場合、外側にあるより古い形から内側にあるより新しい形へ順次変化したと推定するもので、つまり、言葉は文化の中心地から伝播し、一番外の円が一番古い方言を残しているという理論である。

この理論をベースに日本という国の位置を見たとき、面白いことが見えてくる。日本は、ユーラシア大陸の東端に位置し、その先は太平洋である。一方文化は、ローマや中国から日本へ伝わってきた。つまり、日本は一番古い文化を残しているということになる。

確かに、五弦の琵琶は、発祥の地インドや中国には現存せず、唯一正倉院にのみ現存する。また、切腹も中国で生まれたものであるけれど、日本にのみ残った。

司馬遼太郎をして、人間を純粋培養した究極の形と言わしめた武士が生まれ、
武士が自らの階級を無くす明治維新という革命を起こし、
革命が成功しても革命側が権力の座に座らなかったという世界でも希有な例を生んだ。

命よりも名誉を尊び、私心を捨て公に尽くす。
人として究極の美しい生き方を生んだ日本。

文化伝播の東の端に位置する島国、ここにおいては、日本固有の文化をベースに大陸から到来する新しい文化を日本に合うものだけを上手く取り入れ、そして昇華し、濃縮し、世界標準からは一線を画す“美しい心、美しいふるまい”が生まれたのである。

この美しい「島国気質」が誤解を生むことになってしまったのである。

“美しい心、美しいふるまい”に恐怖を覚える国々によって、これらは戦後破壊されつつあるが、まだ完全には破壊されていない。




従軍慰安婦問題をはじめ混迷を深める世界情勢の中で日本が歩んでいくためには、改めて日本の“美しい心、美しいふるまい”を見つめ直し、取り戻し、眼をしっかり見開いて世界を知ることである。

美しい日本の心は世界標準にする必要は全くない。

和魂洋才。古来、我が祖先がしてきたことと同じことをすればいいのである。

これを、建国記念の日に提出できたことを嬉しく思う。

建国記念

<関係資料>
1.時系列整理
平成元年(1989年)
5月 主婦で「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会」の事務局員、青柳敦子氏が『朝日ジャーナル』に意見広告
8月 吉田清治氏の従軍慰安婦問題の著書が韓国で翻訳出版

平成2年(1990年)
1月4日 『ハンギョレ新聞』で、韓国の梨花女子大学教授の尹貞玉氏が「"挺身隊"怨念の足跡取材記」との連載で慰安婦問題を告発
11月 韓国で「韓国挺身隊問題対策協議会」が発足。ソウルの日本大使館前で「日本軍による慰安婦問題」に対する抗議デモを行なう。以降水曜デモが恒例に。

平成3年(1991年)
5月22日 『朝日新聞』大阪版が「木剣ふるい無理やり動員」との見出しで吉田清治氏の慰安婦狩りの証言を写真入りで紹介
8月11日 『朝日新聞』が「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」(植村隆韓国特派員・ソウル発)との見出しで記事掲載
8月14日 元慰安婦の金学順がソウルで記者会見
8月15日 『ハンギョレ新聞』により、金学順が「親に売り飛ばされた」と証言 していたことが判明
10月10日 『朝日新聞』大阪版が井上祐雅編集委員による吉田清治氏のインタビュー記事を掲載
12月6日 金学順を初め三名の元慰安婦を含む三十五人の原告(主任弁護士:高木健一)が日本政府を相手取り提訴(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件)

平成4年(1992年)
1月11日『朝日新聞』が一面トップで吉見義明中央大学教授の防衛研究所における資料発見を「慰安所、軍関与示す資料」「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」と報じる
1月13日十一日の『朝日新聞』の記事をうけ、加藤紘一官房長官が事実調査の前に「お詫びと反省」の談話
1月14日 韓国のマスコミが、女子児童が挺身隊として勤労動員されたという報道を誤解し、「国民学校の生徒まで慰安婦にさせた日帝の蛮行」などと報道
1月16日 韓国を訪問した宮沢喜一首相は慰安婦問題の報道により反日デモが高まる状況に、首脳会談などで八回謝罪し、「真相究明」を約束
1月23日『朝日新聞』夕刊「窓」欄のインタビューで、吉田清治氏が「強制連行した女性は少なくみても九百五十人」と発言
5月25日『朝日新聞』が、吉田清治氏が韓国に「謝罪の旅」に出る予定と紹介
7月6日 日本政府が吉見義明教授の資料発見を受けて行った慰安婦問題に関する調査結果を発表。百を超える関係資料を公開。加藤紘一官房長官は「強制連行の資料はなかったが、慰安所の設置や運営監督に政府が関与していた」ことを初めて公式に認める
7月31日 韓国政府が「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」で「日本政府による慰安婦の威圧的連行があった」と主張
8月12日 吉田清治氏が訪韓。金学順に頭を下げて謝罪

平成5年(1993年)
8月4日 内閣官房内閣外政審議室から発表された文書「いわゆる従軍慰安婦問題についてに関連し、河野洋平官房長官が旧日本軍の関与を認める、いわゆる「河野談話」を発表

平成19年(2007年)
3月16日 社会民主党辻元清美議員提出の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する安倍首相答弁書で、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったと、強制連行を裏付けるものはなかったと閣議決定をして回答。一方「河野談話」は継承しているが、その内容を閣議決定することは考えていないとも回答。

平成24年(2012年)
11月30日、日本記者クラブ主催 衆議院選挙に向けて党首討論会で朝日新聞星氏からの質問に対して、安倍総裁「従軍慰安婦問題に関する河野談話を証明する事実はなかったと前安倍政権時代に閣議決定している。そもそも、朝日新聞の誤報による、吉田清治という詐欺師のような男が作った本がまるで事実かのように伝わったこと」 http://www.youtube.com/watch?v=2QQyo2U5Slg …

「近野滋之・民族主義者の警告」http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/36871929.htmlに記載された年表をもとに美空が補筆した。

2.慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(内閣府HPから)
平成5年8月4日
 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
この談話は、同日に内閣官房内閣外政審議室から発表された文書「いわゆる従軍慰安婦問題について」http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf
を受けて発表された。


3.軍の強制連行の証拠ない 河野談話で政府答弁書(共同通信)
政府は16日午前の閣議で、従軍慰安婦問題への旧日本軍の関与を認め謝罪した1993年の「河野洋平官房長官談話」に関連し「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書を決定した。
社民党の辻元清美衆院議員の質問主意書に対する答弁書。安倍晋三首相の「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠はなかったのは事実」とのこれまでの発言を追認した形だ。
答弁書は、慰安婦募集の「強制性」について、談話発表に先立つ91年12月から93年8月までに政府として関係資料の調査や関係者の聞き取りを行ったとしている。
また同談話に関して「閣議決定はされていないが、歴代内閣が継承しているものだ」と強調する一方で、今後もその内容を閣議決定する方針はないとしている。河野談話でも、日本軍による「強制連行」との表現は使われていない。
http://www.47news.jp/CN/200703/CN2007031601000285.html


1)安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書
提出者  辻元清美 平成十九年三月八日提出 質問第一一〇号(衆議院HPから)

 米国議会下院で、「慰安婦」問題に関して日本政府に謝罪を求める決議案(以下決議案)が準備されている。これに対し安倍首相が総裁を務める自民党内部から「河野官房長官談話」見直しの動きがあり、また首相自ら「米決議があったから、我々が謝罪するということはない。決議案は客観的な事実に基づいていない」「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」と述べ、談話見直しの必要性については「定義が変わったということを前提に考えなければならないと思う」と述べたことから、米国内やアジア各国首脳から不快感を示す声があがっている。
 同時に安倍首相は、米国に対して「引き続き理解を得るための努力を行っている」と述べている。米下院外交委アジア太平洋地球環境小委員会のファレオマバエンガ小委員長もまた、「米国を訪れる安倍首相に恥ずかしい思いをさせたくない」と述べ、下院決議の採択を四月下旬に予定される首相訪米後へ先送りすることを明言した。首相訪米に先立ち、日本政府は米国の誤解を解き、「慰安婦」問題に対する態度を明確にすることが求められている。
 一方、新聞報道によれば、安倍首相は「河野談話が閣議決定されていると誤認していたこともあり、河野談話を継承すると表明した」(二〇〇七年三月六日・産経新聞)とされている。「河野談話」については明白な政治の決定プロセスを欠いていることも米国の誤解を生む一因と考えられるため、「河野談話を継承する」と首相や官房長官が明言している現内閣において閣議決定を検討すべきでは、という意見もある。
 さらに、米国議会下院では、日本軍当局が慰安所運営に直接関わったことを示す証拠として中曽根康弘元首相の回顧録『終わりなき海軍-若い世代へ伝えたい残したい』(発行年月日:一九七八年六月一五日、発行所:株式会社文化放送開発センター出版部、編著:松浦敬紀)が提出された。同書の中で中曽根元首相は、「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。」(同書第一刷九八頁)と記述している。「慰安婦」「慰安所」に関する証言を得ることは年々困難になっている。日本の首相経験者が当時大日本帝国の軍人として直接的に慰安所設立・運営に関わり証言まで残している以上、日本政府には早急かつ充分な調査を期待するものである。
 従って、以下、質問する。

一 《安倍首相の発言》について
 1 「定義が変わったことを前提に」と安倍首相は発言しているが、何の定義が、いつ、どこで、どのように変わった事実があるのか。変わった理由は何か。具体的に明らかにされたい。
 2 「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」と安倍首相は発言しているが、政府は首相が「なかったのは事実」と断定するに足る「証拠」の所在調査をいつ、どのような方法で行ったのか。予算を含めた調査結果の詳細を明らかにされたい。
 3 安倍首相は、どのような資料があれば、「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠」になるという認識か。
 4 「理解を得るための努力」とは具体的にどのような行為を指しているのか。複数あればすべて明らかにされたい。
 5 安倍首相は、「決議案」のどの部分が、どのように「客観的な事実に基づいていない」と判断しているのか。文言ごとにすべて明らかにされたい。また政府は、指摘部分以外はすべて「客観的な事実に基づいて」いるという認識でよいか。
二 《米下院外交委アジア太平洋地球環境小委員長の発言》について
 1 米下院外交委アジア太平洋地球環境小委員長はなぜ安倍首相が「恥ずかしい思い」をすると考えたのか。安倍首相の認識を示されたい。
 2 米下院で「慰安婦」問題に関して「決議案」が採決された場合、安倍首相は「恥ずかしい思い」をするのか。安倍首相の認識を示されたい。
三 《「河野官房長官談話」の閣議決定》について
 1 「河野官房長官談話」が閣議決定されていないのは事実か。事実であるなら、どのような扱いなのか。
 2 安倍首相は、「河野官房長官談話」を継承すると発言している以上、「河野官房長官談話」を閣議決定する意思はあるか。ないのであれば、その理由を明らかにされたい。
 3 政府は「慰安婦」問題について「すでに謝罪済み」という立場をとっているが、いつの、どの文書や談話をもって謝罪しているという認識か。すべて示されたい。
四 《中曽根康弘元首相の回顧録》について
 1 安倍首相は、中曽根康弘元首相が「慰安所をつくってやった」という事実を知っていたか。
 2 「慰安所」設立・運営に対し、軍の関与のもとでいかなる「強制」があったか、政府は中曽根康弘元首相への調査を行ったか。行ったのであれば、調査結果をすべて明らかにされたい。
 3 行ってないのであれば、政府は中曽根康弘元首相への調査を行う予定があるのか。時期・調査項目など詳細について明らかにされたい。行う予定がなければ、なぜ行わないのか理由を示されたい。
 右質問する。

2)衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書 平成十九年三月十六日受領 答弁第一一〇号(衆議院HPから)
一の1から3までについて
 お尋ねは、「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。
 調査結果の詳細については、「いわゆる従軍慰安婦問題について」(平成五年八月四日内閣官房内閣外政審議室)において既に公表しているところであるが、調査に関する予算の執行に関する資料については、その保存期間が経過していることから保存されておらず、これについてお答えすることは困難である。

一の4について
 在米国日本大使館を始めとする政府関係者から、米国議会及び行政府関係者等、各方面に対し、日本政府の立場について十分説明し、米国側の理解が得られるよう最大限努力している。
 他方、説明の相手方との関係もあり、それらの説明の個々の事例について明らかにすることは差し控えたい。

一の5について
 御指摘の決議案については、米国議会で今後議論されていくものでもあり、政府として、その問題点を一つ一つ取り上げて意見を述べることは差し控えたいが、全般的に、慰安婦問題に関する事実関係、特に、慰安婦問題に対する日本政府の取組に対して正しい理解がされていないと考えている。

二の1について
 御指摘の米国の小委員長の発言の理由について推測を述べることは差し控えたい。

二の2について
 御指摘の決議案については、米国議会で今後議論されていくものであり、これが採択された場合という仮定に立った質問にお答えすることは差し控えたい。

三の1について
 官房長官談話は、閣議決定はされていないが、歴代の内閣が継承しているものである。

三の2について
 政府の基本的立場は、官房長官談話を継承しているというものであり、その内容を閣議決定することは考えていない。

三の3について
 御指摘の件については、官房長官談話においてお詫びと反省の気持ちを申し上げているとおりである。

四の1について
 御指摘の回顧録の中に御指摘の記述があることは承知している。

四の2及び3について
 関係者からの聞き取り調査について、特定の個人を識別することができる情報を記録していること等から個々の内容は公表しないこととしており、御指摘の調査については、答弁を差し控えたい。

軍隊とは

いわゆる戦後教育を受けた私にとって、明治から戦前戦中の日本軍の振る舞いは、最悪のものと映っていた。

そして、社会人になり読み始めた本で、日清、日露の戦争においては、国際社会の一員たるべく健気なまでに国際法を遵守しようとした日本軍の姿を見た。しかし、それでもなお、戦前戦中の日本軍は、日清、日露、第1次世界大戦の連勝によりおごってしまったのだと思っていた。実際そういう部分は、あったと今も思う。

しかしながら、教えられた物事ではなく、自らの意志で調べた資料を種々読むにつけ、戦前戦中の日本軍に対する私の考えは誤りであったのではないかと思い至った。このことについては、また別の機会に改めて書きたいと思う。

今般、資料を読んでいるなかで、その思いが沸々と沸いてきたので、以下のようにツイートした。
美空 ‏@misora1003「今に至るまで、私は、戦前戦中の日本軍を誤解していた。国を守るために散華された200万を超える英霊のみなさん申し訳ありません。」

そうすると@norift_sport さんから以下のような返信をいただいた。
‏「@misora1003 軍隊は人を守るためにあるべきですね」

これに対する私のお答えは、到底140文字で書くことができませんので、こちらにて私の考えを書かせていただきます。

おっしゃるとおり、軍隊は人を守るためにあるべきだと思います。
しかし、それは単なる人ではなく国民だと思います。
そして、軍隊は、国民を守るだけでなく、国も守るためにあると思います。

「ヒト」は、「人」となり社会的動物になりました。
人はひとりでは生きていけません。
現代において、無人島でひとり自給自足の生活をして、それが一つの独立国家とはなり得ません。
地球上で主権が及ばない陸地は、南極大陸のほかにはありません。

人は、ムラを作り、クニを作り、国家を作りました。
千数百年、国が存続しているという世界でも希有な国に住んでいる日本人にとって、
また、60年以上戦争をしていない国に住んでいる現代日本人にとって、
国というのはあって当たり前、空気のような存在で意識していないので、想像しにくいですが、国が無くなってしまうことはあるのです。

そうなってしまえば、人を守ることはできません。
そのために国を守っているのです。
人を守ることと国を守ることは密接不可分です。

世界には国を失った国があります。イスラエルやチベットもその一つです。
イスラエルは再び建国しましたが、チベットは独立を果たすことができていません。
イスラエルは建国して軍隊を持ちましたが、チベットは軍隊を持ちえていません。

人を守ることは、家族や警察ができますが、
国を守ることは、軍隊でしかできません。

私は、このように考えます。

今回、@norift_sportさんから返信をいただいたことをきっかけに、改めていろいろ思索をめぐらせ自身の考えをまとめるという貴重な機会を得ることができました。ありがとうございました。


ミサイル

置換バス発射オーライ!

念願だったこの企画。今、ケツ&カイーノさんと計画を練っている。
実行した暁には、またここで報告したいと思う。

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当事者意識

最近、先のエントリーで書いたようなことを知り合いに話をすることがある。
そうすると、決まって返ってくる言葉が、「軍部が独走したんですよね」。

ひどく当事者意識のない言葉だと思う。
40歳代後半の者にとって自分たちの祖父母の世代が関与した先の大戦。

自分たちは蚊帳の外において、一部軍部を悪者にして、一般市民は悪いことはしていませんと言いたいようだ。

しかし、果たしてそうだろうか。日露戦争は、世論に後押しされて開戦した。
その証拠に、日露戦争終結に伴う賠償内容に不満を持った民衆が、満足のいく賠償を得られないのであればもう一度戦争をしろと日比谷焼き討ち事件という暴動を起こしている。

日中戦争が始まったのが1937年。日露戦争が終わったのが1905年。間に第一次世界大戦をはさみ、32年。

日中戦争開始までの期間に民衆が急に反戦的になったとみるより、日比谷焼き討ち事件の空気感が、第一次世界大戦でも勝者側の連合国の一員となった要素も加わり継続しているとみたほうがいい。

一人の独裁者によってコントロールされていたドイツと違って、個々の現場レベルの国民の意志が強固な日本というとても厄介な国の占領政策を考えたとき、天皇制を温存し、一部の国民を悪者に仕立てるのが得策とアメリカは考えたのだろう。

民衆を分断して統治するというのは為政者が考える常套手段である。

A級戦犯とされた人たちは、連合国にそのように言われるだけでなく、日本国民にもそのように呼ばわれてしまっているのだ。



今日8月6日は、広島に原爆が落とされた日。広島の原爆死没者慰霊碑には、「過ちは 繰返しませぬから」と書かれている。

1952年に広島を訪れた極東国際軍事裁判のパール判事は、碑文を見て、「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」と述べた。

その後、この碑文の文章の主語は、「人類」であるという見解が出された。

その見解は、原爆の被害者でありながら、同じ人類としてもう過ちを繰り返さないと宣言する苛烈ともいえる当事者意識に基づくもの。

しかしながら、そのように解する理想主義は、軍部が独走したのだという全く当事者意識のない主張に至ることに強烈な違和感を覚える。

過ちは 繰返しませんといいながら、戦争は軍部がしたことですと言っているのだから。

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日本は本当に悪いことばかりをしたのか

最近、いろんな出来事にでくわしたり、本を読むなかで、世間の人が思っているほど、日本は悪いことをしたのかと思うようになった。そう思うようになった流れを記したい。


1.教えられたことと実際との違い

小さい頃、まだ頭がスポンジのような状態のときに学校で教えられたこと、そして、学校で教えられたことの延長線のマスメディアの論調をシャワーのように浴びていると、なかなかその呪縛から抜け出ることができなかった。

しかし、時が経ち、見聞きし、既存メディア以外の情報を得たとき、徐々にその呪縛からとき放たれてきた感じを覚える。

教えられたことと実際との差異。幾度かそのような経験を経て、教えられたことは、本当のことではなかったのだと確信するに至った。

以前のエントリーにも書いたように、私は公立中学校で石川さんは無実ですという作文を半ば強制的に書かされた。石川さんとは、刑事事件で最高裁判決が出て結審していた事件の被告だ。その後数度の再審請求がなされている。被差別部落出身であるがゆえに犯人にでっちあげられたとの運動が2審以降展開されている。

戦争中は思ったことを自由に言えなかった暗黒の時代だっと授業で教えられたのに、この半ば強制的に無実だと作文に書かせられることには、同じことではないかと、こども心にものすごい違和感を覚えた。

大人になって改めて考えると、公教育において特定裁判当事者のどちらかが正しい、あるいは間違っているなどと教えることは到底許されない。それが分かったとき、自分が受けた教育の胡散臭さが分かった。


そして、私は私立大学の付属高校に入学し、遊んでばかりで活字の本など読んだこともなかった。でも、30歳代で読書の楽しさに目覚め、それ以降は、偏ったジャンルではあるけれど、以前の自分からは想像できないくらい多くの本を読んだ。

中学校までの教育で、江戸時代は、士農工商穢多非人という身分制が存在する暗黒の時代。明治時代も、女工哀史に象徴されるような暗黒の時代と教わり、それ以降もそのような頭でずっといた。

ところが、本を読んでいると、どうも教わったことと違う。暗黒とはいえない時代だった。確かに今の価値観で、江戸時代や明治時代をみたら、生きること自体が過酷な時代。しかしながら、世界的にみて当時の他の国々と比べたとき、教わったような暗黒の時代とは思えない。

そして、個人レベルで人間ひとりひとりの気持ちの持ちよう、文化教養の高さ、力強さなどを考えたとき、現代よりずっと豊かであった気さえする。

江戸時代の治世を封建制であることだけをもって、あまりにも前近代的と評価し過ぎた教育を受けた。そして、人々の教育や文化水準についても、馬鹿にした教育を受けた。

歴史を見るとき、現代の物差しで当時を考えると、間違ってしまう。日本の今の物差しで歴史を見るのではなく、世界の物差し、当時の物差しで歴史を見ないといけない。

そういう意味において、私が受けた教育、そして、その後見聞きした多くのメディアの論調は、日本の今の物差しでしか歴史を見ていないと考える。


2.左派の主張の欺瞞

これらの教育及び論調は、左派と呼ばれる人々の考え方に基づくものの。自身が受けた教育に対して立ち止まって考えるのと同じように、これら左派の人たちの言動を注視すると、極めてシンプルな論理矛盾に行き着き、彼らの主張が欺瞞に満ちたものであることが分かる。

・あれだけ自衛隊は違憲だと主張していた社会党が政権与党となったとたんに自衛隊は合憲と主張。

・世界一周の旅をするピースボート。自衛隊不要論を展開していた辻元清美議員が立ち上げた団体で、団体も自衛隊の海外派遣に反対していたが、航海中ソマリア沖で海賊の脅威があるため、自衛隊からの護衛の申し出を受けて護衛してもらった。

・社会党本部に暴漢が乱入した際、ガードマンが制圧。非武装中立を唱えているのになぜ言葉で説得しないのか。

以下は彼らの主張にもとづくものではないが、私の確信に至る要素なので記す。

・左翼から右翼に転向した人はいるが、右翼から左翼に転向した人は知らない。

・自分の住んでいる町を愛するのと同じように自分の住んでいる国を愛することができない人が、他国を尊重できる訳がない。

・自分のバックグラウンドである自国の歴史を否定する人とは、嘲笑してうわべではつき合っても認めることはしないというのがグローバルスタンダード。自分の国を愛し、自国の文化を理解している人間でないと世界では相手にされない。


3.既存メディア以外の情報

そのうえで、you tubeをはじめとする既存メディア以外の情報に注視をすると、改めていろんな発見がある。

これらの情報源が自分でその情報の真偽を確かめる必要があるけれど、非常に有効な情報獲得手段だと思う。

本当のことを知るためには、既存メディアだけでなく、いろんなチャネルの情報を得ないといけない。でも、今はネットを通じて以前よりもたやすく既存メディア以外の情報を得ることができるようになった。

既存メディアが機能していないという少し情けない状況だけれど、アラブの春や中国の民主化運動と同じように日本の人たちはインターネットというツールを得て本当のことにアプローチすることが容易になった。

日本国民として、知っておくべきだと思う動画をいくつか紹介したい。











パール判事に関する本を購入した。
ネットをきっかけとして本にあたり、改めて自分の頭で考えてみようと思う。

そして、幸いにもかろうじて戦前戦中に生きた方々がご存命だ。
実際に体験をした人にあたり、生の話を聞いてみようと思う。

武力より言葉で

切腹

私は、司馬遼太郎が「俄」で描いた堺事件での切腹シーンを初めて読んだとき戦慄した。それがあまりにも衝撃的な内容だったので、それから以降、切腹というものに興味を持っていた。今般、切腹に関して興味深い本を手にしたので、切腹について記したい。

1.司馬遼太郎著「俄」における切腹

今手元に「俄」がないので引用できないが、おおよそWikipediaと同じなのでWikipediaをベースに加筆修正して引用する。

攘夷論のいまだおさまらぬ慶応4年2月15日午後三時ごろ、フランス領事一行を迎えるべくフランス海軍が堺港に入り、湾内を測量、士官以下数十名の水兵が上陸、市内を徘徊した。夕刻、土佐藩軍艦府の命を受けた土佐藩士らが帰艦を諭示させたが言葉が通じず、藩兵は水兵を連行しようとした。水兵側は土佐の隊旗を倒伏、逃亡しようとしたため、土佐藩側は咄嗟に発砲し、フランス人11人を殺傷または、海に落として溺死させた。土佐藩側ではフランス人が迷惑不遜行為に及んだための処置であるとしたが、フランス側の抗議を受けて、藩主山内容堂は、藩士処罰の意向をフランス側に伝えた。
土佐藩は警備隊長以下全員を吟味し、隊士29名が発砲を認めた。隊長ら4名の指揮官は責任を取って切腹が決定。残る隊士16名を事件に関わった者として選ぶこととなり籤を引いて決めた。
2月23日堺の妙国寺で土佐藩士20人の切腹が行われた。切腹の場で藩士達は夷狄を罵る歌を歌いながら自らの腸を掴み出し、居並ぶフランス水兵に次々と投げつけるという行為を行った。その凄惨さに、立ち会っていたフランス軍艦長は、フランス人の被害者数と同じ11人が切腹したところで外国局判事五代才助に中止を要請し、結果として9人が助命された。

「俄」を読んだとき、自らの腸を掴み出し、居並ぶフランス水兵に次々と投げつけるというのは、作者の脚色だと思った。

そこで、小説ではなく、記録として堺事件が記されているものを確認しようと本を探して、「英国外交官の見た幕末維新」A・Bミッドフォード著(講談社学術文庫)をあたってみた。そうすると、同じことが書かれていた。脚色ではなかったのだ。


2.千葉徳爾著「切腹の話」における切腹

映画「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」を観に行こうと思ったとき、たまたま、「切腹の話」千葉徳爾著(講談社現代新書)という本を手にした。

この本を読んで更に驚いた。俄で脚色だと思った戦慄の場面は、それどころか切腹の形としては一般的であったのだ。

これから先は、生々しい話が含まれるので、大丈夫な方のみ、続きを読むをクリックいただきたい。

清明

続きを読む

武士道

「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。」で始まる新渡戸稲造博士著「武士道」。
その中で一番好きで、苦しいときには読み返し、普段も常に意識におき目標としている「勇」の項。
今日、満開の桜を愛でたので、改めて、武士道も愛でる。

勇気が人のたましいに宿れる姿は、平静すなわち心の落ちつきとして現れる。平静は静止的状態における勇気である。
敢為の行為が勇気の動態的表現たるに対し、平静はその静態的表現である。
真に勇敢なる人は常に沈着である。彼は決して驚愕に襲われず、何ものも彼の精神の平静を紊さない。
激しき戦闘の最中にも彼は冷静であり、大事変の真中にありても彼は心の平静を保つ。地震も彼を震わさず、彼は嵐を見て笑う。
危険もしくは死の脅威に面しても沈着を失わざる者、例えば差し迫る危険のもとに詩を詠み、死に直面して歌を吟ずる者、かかる人は真に偉大なる人物として吾人の賞嘆するところであり、その筆蹟もしくは声音従容としてなんら平生と異なるところなきは、心の大なることの何よりの証拠である―――吾人はこれを「余裕」と呼ぶ。
それは屈託せず、混雑せず、さらに多くをいるる余地ある心である。
信ずべき史実として伝えられるところによれば、江戸城の創建者たる太田道灌が槍にてさされた時、彼の歌を好むを知れる刺客は、刺しながら次のごとく上の句をよんだ、
「かかる時さこそ生命の惜しからめ」
これを聞いてまさに息絶えんとする英雄は、脇に受けたる致命傷にも少しもひるまず、
「かねてなき身と思いしらずば」
と下の句をつづけた。

桜3001
プロフィール

美空

Author:美空
エロで変態だけど幕末好き。写真にハマり、アートや政治にも関心がある硬軟混ざった48歳です。
普段は、パートナーのドレミと関西を中心に活動しています。

堅い話もありますが、基本エロブログですので、18歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。

たまにツィートしています。



ドレミもツィート始めました

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